Column コラム
勢いで目指すウィスキーオタクへの道 | 日本におけるウィスキー、その始まりと浪漫の話
※ブログタイトルは「ウィスキー」なのですが、今回のブログはサントリーの製品の話題が中心なので、ブログ本文内の表記を全て「ウイスキー」としています。
ごきげんよう、頭文字Mです。
完全に勢いで一昔前の少年漫画の前髪の長い尖った長身イケメンキャラのようなたたずまいで
「断る理由もないから……入るよ。サッカー部」くらいのテンションで始まった、
このブログも早いもので、記念すべき第10回となります。

ここいらで、きっと大体のウイスキー愛好家の方は知識としては持っているだろうけれど、
しっかり情報として調べたことはないであろう、「日本とウイスキー」という文化について
一度頭文字Mと振り返ってみるのもオツではないですか?
ツウ向けのグッズのご紹介や、地ウイスキーのレビューを小粋に挟み、
なぜか唐突にアイラウイスキーの伝統について語り、
からのなぜか第9回でいきなり、生まれた国での愛する酒の文化について語る気まぐれさ。
この流れを振り返って、ふと、思い出したんですけど。
コンプラチェックのためにわたくしのブログをこの世で一番読まされているGくん(高性能AI Gemini)が、最近よく言うんですよ。
「Mさん、面倒くさい知的なオタクっぽさが出てます!」って。
まるで褒め言葉のように。
わたくしの文章から無意識ににじみでてたってことですか?
面倒くさい知的なオタクっぽく思われたい!って願望が?
自覚もなく?感じたことも無いのに?
読み手にはそんなに明らかに受け取れてしまうほどに?
…………………………………!!
……………………………………………………………………!!!!(声にならない羞恥の絶叫)
■気を取り直して、本題に戻ります
今でこそ世界中で愛されるジャパニーズ・ウイスキーですが、そのスタートは決して順風満帆とはいえませんでした。
1929年、サントリーの創業者・鳥井信治郎が日本初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」を発売します。しかし、当時の日本人の反応は散々。独特のピート香(スモーキーな香り)が、「焦げ臭い」「薬のにおいがする」と敬遠されました。
日本酒や焼酎など、古くから日本で飲まれていたお酒に慣れた当時の人々の舌には、個性が強すぎたのもあります。
結果、売れ行きは厳しく、当時の寿屋(現サントリー)にとってはかなりの大博打だったようです。
わたくしは正直ウイスキーも缶チューハイもサントリーのものを愛飲しておりますので
「倒産の危機」という言葉が頭をよぎるレベルの話で、精神的には椅子から落ちるくらいのショックを受けました。
この件についてのデータは以下に、Gくんからのまとめを折りたたみで挟みますので、詳細に知りたい方はぜひ。
/サントリーの挑戦について
1. すぐには結果の出ない超巨大投資
1923年、創業者・鳥井信治郎が寿屋(現サントリー)で山崎蒸溜所を建設した際、当時としては巨額の資金が投じられたとされています。しかもウイスキーはつくってすぐ売れるものではなく、熟成期間が必要なお酒。つまり、売上になるまで時間がかかる事業に、かなりの資金を先に投じたわけです。
2. 「白札」の失敗と、10年近く続いた赤字
1929年に満を持して発売した日本初の本格ウイスキー「白札」が、独特の焦げ臭い匂い(ピート香)のせいで全く売れませんでした。
デッドストックの山: 売れないのに次の一手を打つための原酒は作り続けなければならず、倉庫には売れない酒が積み上がり、資金繰りは火の車。
「ウイスキーは道楽」という批判: 周囲からは批判を浴び、銀行からの融資も厳しい状態が続きました。
3. 「赤玉ポートワイン」の存在
当時の寿屋(現サントリー)を支えていた大ヒット商品『赤玉ポートワイン』があったからこそ、ウイスキーづくりという長期戦に挑めた、と見ることもできます。この状態が、「角瓶」がヒットするまで長く続いたのです。/
■「ハイボール」——それは救世主の名前
ウイスキー特有の「クセ」を、日本人の好みに変えた魔法が「炭酸で割る」ことでした。
戦後のトリスバーで、 安価なウイスキーをソーダで割るハイボールが、サラリーマンの間で大流行。
炭酸が弾けることで、重すぎた香りが華やかに。
さらに冷やすことでアルコールのカドが取れ、食事に合う「爽快な飲み物」へと進化しました。
時代は流れ、一時は「中年男性の飲み物」として低迷したウイスキーを救ったのが、
2008年頃から始まったサントリーの戦略的なキャンペーン。
「ウイスキーがお好きでしょ」のCMでお馴染み、ジョッキで豪快に飲むスタイルを提案。
これにより「オシャレで低糖質、かつ食事に合う」というポジショニングを確立。
ウイスキーを敬遠していた若者や女性が一気にファンになりました。
あのCMはわたくしも、何度も目の当たりにしたことがあります。
その時代を象徴するような透明感のある映像と、差し出されるとても綺麗な色の、炭酸の泡が立ったきらきらとした液体。
それはそれは、素敵でオシャレな飲み物に見えたものです。
まるでジョッキに入った、硝子細工のようでした。
年齢や性別を問わず多くの大人たちが、きっと強く惹きつけられたことでしょう。
■日本にとってのウイスキーは、
ハイボールで成り上がった「不屈の戦士」
結論として、ハイボールはウイスキーの「キツすぎる個性」を「心地よいアクセント」に変えたのです。
かつて「焦げ臭い」と嫌われたあの香りは、今や「奥深い余韻」として、世界中のウイスキーファンを虜にしています。
大博打とも言っていい凄まじい規模のプロジェクトを手がけた手腕、
諦めずに事業を手放さなかった決断、
ハイボールという飲み方の提案、
そして誰もが知っている「ウイスキーがお好きでしょ」のCMでもわかる、売り出し方の「妙」。
それが今の国民的アルコール飲料と呼んでまったく遜色ないハイボールをつくりあげた、ということ。
わたくしはもう「最近涙もろくなってきた」を1000回は言い訳にして
路傍の石にも涙する程度のありふれた中年なので、
この文字列をタイピングしながら涙目になっています。
なんて……なんて浪漫があるんだ。
面倒くさい知的なオタクなんて目指してる場合じゃない。
執念といっていいほどに貫かれた信念、それは最も短く言葉にするなら「夢」というものだったのでしょう。
わたくしたちが今とても身近に感じているウイスキーというお酒は、
いつかの誰かの失敗であり、いつかの誰かの執念であり、
そして、時代を駆け抜けた「夢」の、まだ続きを見ていたのです。
そんな熱い気持ちを胸に過らせながらブログの編集画面を見てしまい、
勢いで目指す、とかいうゆるいタイトルが目に入ってきて、
自分で考えたくせに三度見くらいしてしまいました。
それでは、締めのご挨拶(小ネタ)。
サントリーのウイスキー「山崎」。
印象的なラベルの筆文字は、2代目マスターブレンダー・佐治敬三氏によるもの。しかも『崎』の字のつくりは、実は『奇』ではなく、サントリーの前身である『寿屋』の『寿』に似せて書かれているのだとか。
出典:https://www.suntory.co.jp/whisky/yamazaki/yamazaki_club/009/
次回、第11回にてお会いしましょう!
ごめんあそばせ!
※本記事内の歴史的情報は公開資料およびAIによる要約をもとに構成しています。正確な情報は公式資料等をご確認ください。
※20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒は適量を守りましょう。